人生に飽きたなら非日常を味わってみてはいかがでしょう?
全部捨てて、一人でブラブラするんです。
たぶん、飽きたと思っていた心になにか入ってくるものがあると思う。
人生に飽きた理由
人生に飽きてしまった理由は何ですか?
人によって違うだろうけど、
「結局死ぬ」ことが分かったからではないでしょうか?
人間は100%死にます。
死んだ後には、
これまで積み上げてきたものや集めてきたもの、
何一つ持っていくことはできません。
『無駄』と捉えることもできます。
どうせいつか人生が終わるのなら、
現世にとどまって苦しみ続けるよりも、
スッパリこの世を去った方が楽だと考えることもあるでしょう。
ただ、
死んだ後のことが分からないからこそ生きていた方がいいと思うんです。
「人生飽きた」と言いながら死ぬというのは、
つまり負の感情を抱えたまま死ぬということ。
「飽きたのですから、感情は無いです。無です」
という人もあるかもしれませんが、
それこそ負の感情です。
『諦め』や『絶望』などの感情が湧いてます。
死ぬときくらい楽しく死にたい。
人生に飽きたというのは、
すごく考えた人が行きつくところなのかもしれません。
結局死ぬなら全てが無駄だ。
そう考えると何もかもやる気をなくしてしまうし、
飽きてしまいます。
人生の楽しみが一つもないなら
好きなことがあるならそれだけに没頭してみてはどうでしょう?
唯一ゲームだけが好きならば、
仕事を辞めて1日中ゲームして遊んでみては?
どうせ飽きた人生です。
ゲームのために退職するくらい刺激的なことがないとつまらないでしょう?
毎日同じことの繰り返しは飽きるものです。
普通は味わえない非日常を楽しむつもりで何かを始めてみてはどうでしょうか。
何も楽しみがないのなら、
今すぐ辞表を書いて予定は立てずに旅行に出かけてください。
今まで行ったことのない遠くへ、
見たこともない景色を探しに行ってみてはどうですか?
なんなら、死に場所を探すつもりで。
ただし、
行くのは明るい場所です。
霊園や富士の樹海になんて行ってはいけません。
ポジティブになれそうな場所です。
ちょっとした観光地みたいになってるところや
静かな森の奥にあるレストラン。
温泉とか海外に飛び出してもいいかもしれません。
普段なら絶対にできない経験は、
心を動かす作用があります。
「人生に飽きた」というのは、
日常生活と今見えてる将来に対してではないですか?
例えば、
イタリアに出かけて美味しいものを食べる未来があった時、
それでも「飽きた」と言えるでしょうか?